京大呼吸器外科 京都大学医学部附属病院呼吸器外科

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トロント留学記

トロント留学の思い出:―北米でのClinical fellow―

平成9年卒 陳豊史

 2017年4月、北米でのclinical fellowを終えて帰国し8年が終わろうとしている。肺移植の臨床研修をする(実際に、自分で血管や気管支の吻合を行う)ために、臨床留学に旅立ったあの日、意気揚々と、いや実は、かなりびくびくしながら、渡加した自分をふりかえってみた。

 2008年6月、ImmigrationでWork permitの最終確認が済み、カナダへの入国が最終的に承認された。それは、ちょうど、京都大学での再開肺移植1例目の患者がICUにいるときであった。日本では経験できない、年間100例を超す症例数の肺移植医療の中に身をうずめてみたい、という一心で、その前段階としてのObserverを2006年に3か月行い、そして、これから、Clinical fellowとして1年間働くことになったのであった。

 ただ一言、Clinical fellowといっても、平坦な道のりではなかった。そのpositionを得るために、何度、英語の試験を受けたことか…。京都の試験会場では、試験監督に顔も名前も覚えられ、またあるときは、仙台まで受けに行ったこともあった。なんとかクリアし、実際に、臨床の現場に入ってみると、「自分の英語が通じない。通じても、自分の言いたいことの半分言えたらいいところ。Discussionでは相手を説得する意見がうまく言えない。」という現実が待っていた。Research fellowから入って、Clinical fellowになったほうがよかったかな、とも思ったが、時すでに遅し。しかし、自分から積極的に患者に関わるようにしないと何も始まらない、と思い直し、半年たったころから、院内での自分の居場所ができ始めた。

 日本での自分の力の半分も出せていないと感じながら、臨床研修としては、自分のためにはなっているが、Toronto teamのためには何もしていないのでは?と、苦しみながら、働いていたある日、手術が終わった後に、あるStaff surgeonが一言、「心配するな、十分役に立っている。お前の名前あてで、病院にも寄付があったぞ。」信じられない様子でいる私の姿を見て、そのStaffは、ごみ箱に捨てた院内報をわざわざ取りに戻ってくれて、ほら、と見せてくれた。院内報に記載された、自分の名前に、ちょっと目頭が熱くなった。そして、その院内報は、Staff surgeonのケチャップのついた指のシミがあるが、今でも私の宝物である。

 術後のPrimary graft failureで非常に苦しんだ患者を、日本張りの張り付き術後管理でよくなった、いや、よくさせたときには、Staffだけでなく、患者、その家族までもが喜んでくれた。その患者は、術後3か月目、遠方にある自宅に帰る最後の外来の担当医に私を指名して、同日朝に行われていた肺移植が終わるまで待ってくれた。最も苦手だったのは、術後慢性拒絶の方の外来であった。診察はするが、気の利いたかける言葉が見つからず、思わず、呼吸器内科の現地のレジデントに助け舟を出して救ってもらった。今日が最後の外来日というと、「英語が上手になったね」と言ってくれる方もいた。「どういうところ?」ってすぐに聞き返すと、「最初の時は、そんなにすぐに言葉が出なかっただろう、こっちも気を使ってあまりいらないことはしゃべれなかったんだよ」と、笑いながら答えてくれた。彼らは、私の英語が不十分なことを理解したうえで、常に、じっくり私の説明を聞いてくれていたんだ。そのとき、心が通じているのを実感した。

 まだまだ思い出にするには新しすぎるが、このようなTorontoでの多くの経験は、私の中で、現在進行中の京都大学での経験と、日々融合している。今後さらに歳を重ね、振り返った際、少しでもいいものになるように、今後も精進を重ねていきたい。

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